都市と自然の不協和音

少し、堅いタイトルになってしまってすみません。

 

今日はちょっとだけ真面目に書こうと思います。

 

長くなるかもしませんが、読んでもらえると嬉しいです。

 

 

私は、水たまりを観たり、気付いたりする人がもっともっと増えれば、

 

例えば都市はもっと生物多様な場所になることが可能かもしれない、

 

というかむしろ、制御された自然だけではなくて、積極的に都市に生物多様性を

 

取り入れていく事がいいのではないかと考えていました。

 

 

 

けれど、その難しさを実感した出来事が身近で起きました。

 

 

 

マンションの階段に、鳩の巣が作られたのです。

 

 

 

螺旋に上る階段なので、階段の幅はある程度は広いのですが、

 

とはいっても、人が少しの余裕をもってすれ違える程度の幅のその階段床の角で、

 

鳩が卵を孵そうとしていました。

 

 

私は、正直おどろき、

 

鳩との距離の近さや、卵を育てるという重要な時期である事から、

 

階段を通ることに、おそれ、を抱いていました。

 

自分が襲われたらという不安と、

 

そこでヒナが孵った後の事、糞のこと等も含めて、

 

毎日のこの距離感を想像すると、正直気が重かったです。

 

 

一方で、身近な存在でありながら、

 

どこで暮らし、どうやって生まれているのかを知らない

 

鳩の成長を見れるのは、すこーしだけ、楽しみでもありました。

 

 

そして、ここに巣を作ろうと決めた鳩のことも、

 

少しずつ増える藁の様子も、

 

偽物のような不思議な形をした一つの卵も、

 

何とも言えないせめぎあった気持ちで見ていました。

 

 

 

でも、鳩の巣は、撤去されてしまいました。

 

 

 

そりゃそうですよね。

 

私も嫌がっている部分がありました。

 

 

けれど、

 

これが都市の中に生物多様性が入ってくる

 

ということではないかと思ったのです。

 

この複雑ななんとも言えないような気持ちになることが、

 

自然と向き合うという事なのではないかと。

 

 

私が、鳩の側を通る時いつも念じていたのは、

 

「とにかく悪さしないから、お願いだから怒ったりしないで、お願いお願い」

 

ということでした。

 

ある意味、『畏怖』です。

 

 

 

それは美しい、調和ではなかった。

 

むしろ、不協和音でした。

 

 

それを活かすには、その他のたくさんの調和が必要であることを

 

実感しました。 

 

 

それでも、その中に見え隠れする”響き”があると信じてしまうのは、

 

エゴですかねぇ。

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コメント: 2
  • #1

    たかぎ (月曜日, 21 5月 2012 22:52)

    撤去されちゃったのか…
    ちょっと悲しいね(・_;)

  • #2

    mizutamalink (火曜日, 22 5月 2012 20:37)

    ね。今日も親鳩と対面。。。
    この記事暗いかしら!すみません。。。

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